高神社【井手町歴史観光スポット/JR奈良線観光社寺仏閣スポット】
高神社
京都府綴喜郡井手町多賀天王山、京都市南部に位置する井手町の北側、JR山城多賀駅より南谷川を隔てて東にある天王山の中腹に鎮座し、古くから天王山北西の多賀集落の人々の信仰を集めている神社です。
第29代・欽明天皇(きんめいてんのう 509-71)の時代の540年(欽明天皇元年)、東嶽の玉津岡に降臨した神霊を社宮を建てて祀ったのがはじまりと伝わり、その後711年(和銅4年)に字川辺に東村宮として多賀明神社が奉祭され、更に聖武天皇の731年(天平3年)には橘諸兄によって現在地に遷座され、当時の祭神である高御産日神伊邪那美命、須佐鳴命が祀られるとともに、勅願により高御産日神の名から「高」の字を採って「多賀神社」を「高神社」に、そして「多賀村」を「高村」と改められたといいます。
一方、多賀郷三村を構成する東村・谷村・久保村では、集落の発展に伴って725年(神亀2年)に字西畑に久保村宮、そして726年(神亀3年)には字綾の木に谷村宮がそれぞれ建立されていましたが、平安時代の878年(元慶2年)8月の谷村宮龍神祭の時に死者を出す喧嘩騒動が起こったのをきっかけに相談が重ねられ、885年(仁和元年)に現在地の天王山に三社を統合し併せて祀ることとなったといいます。
そしてこの間に宇多天皇の真筆による「大梵天王社」の額と称号を頂いたことから、その後長きにわたって高村の「大梵天王社」と呼ばれていたといい、また第88代・後嵯峨天皇(ごさがてんのう 1220-72)の時代の1245年(寛元3年)には霊顕あらたかな神様と して「正一位勳一等」の神位と「大明神」の称号が贈られています。
その後、第85代・仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう 1218-34)の時代の1221年(承久3年)に起きた「承久の乱」の後に「高村」は「多賀村」、「高神社」は「多賀神社」に改められますが、1868年(明治元年)の神社制度の改正によって大梵天王社「多賀神社」の名は再び「高神社」に改められ現在に至っています。
現在の「本殿」は江戸初期の1604年(慶長9年)に再建されたもので、三間社流造・桧皮葺で、細部にわたって豪華絢爛な装飾が施されていて、桃山時代の建築様式を現在に伝えるものとして1983年(昭和58年)4月に「京都府指定文化財」となっています。
そしてその本殿には祭神として伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、および菊々理姫命(くくりひめのみこと)が祀られているほか、境内にはその他にも摂社・末社が合わせて14社祀られ、これらの社殿を覆うように境内全体に椎(シイ)や樫(カシ)などの常緑広葉樹が繁茂し荘厳な雰囲気を形作っており、これらの鎮守の森は京都百景の一つに選ばれているほか「京都府の自然200選」の「歴史環境部門」にも選定されています。
また社前を流れる南谷川の河岸は6月にホタルが飛翔する「谷川ホタル公園」として知られ、初夏の風物詩となっているほか、周辺はハイキングコースとして、更には近年は自転車のサイクリングコースとしても人気で、サイクリングの愛好者の間では当社は「自転車神社」の愛称で呼ばれて親しまれているといいます。
高神社 アクセスマップ
開門時間 | |
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住所 | 〒610-0301 京都府綴喜郡井手町多賀天王山1 |
御祭神 | 伊邪那岐命(いざなぎのみこと) 伊邪那美命(いざなみのみこと) 菊々理姫命(くくりひめのみこと) |
旧国郡 | 山城国綴喜郡多賀村 |
高神社へのアクセス |
【電車】 JR奈良線山城多賀駅から東へ徒歩約20分 |
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