新撰組ウオーキング~島原・西本願寺界わい~遊興の裏で暗闘、酒色に加え剣と血と
新撰組ウオーキング~島原・西本願寺界わい~遊興の裏で暗闘、酒色に加え剣と血と
新撰組ウオーキング~島原・西本願寺界わい~遊興の裏で暗闘、酒色に加え剣と血と
島原大門→輪違屋→角屋もてなしの文化美術館→本願寺(西本願寺)→天満屋騒動跡→本光寺→不動堂村屯所跡
※距離:3.5km
※所要時間 2時間(移動のみ)
ジャンル 歴史・神社・仏閣/芸術・文化・街並
新撰組記念館
築100年の京まちやに個人が営む資料館です
島原大門
寛永17 年(1640)に六条三条筋から移されたわが国最初の公許の花街・島原にあった大門を移設したものです。
輪違屋
輪違屋(わちがいや)は、京都府京都市下京区の花街、島原の置屋兼お茶屋である。
創業は元禄元年(1688年)、置屋として始まる。置屋として創業当時の名は「養花楼」。お茶屋兼業は明治5年(1872年)より。
現在の建物は安政4年(1857年)に再建されたものであり、明治4年(1871年)にほぼ現在の姿となった。
京都で唯一、幕府より公認を受けた格式高き花街・島原。
そのなかで現在も営業を続け、日本でただ一軒太夫を抱えるお茶屋が、輪違屋です。
襖に道中傘を貼りこんだ「傘の間」や本物の紅葉が塗り込まれた「紅葉の間」、
近藤勇の屏風など、新選組や志士たちも遊んだ幕末の空間で、太夫さんとお座敷遊び。
島原の太夫は、知識、品格、遊芸とすべてにおいて極上、大名や公家たちの
お相手を務めた芸妓の最高位。
可愛らしい禿を引き連れ練り歩く「太夫道中」や顔見せの儀式「かしの式」、
お点前、舞・胡弓などの技芸。
京料理やお酒を味わいながら、粋と艶を極めた絢爛な饗宴を堪能しましょう。
角屋もてなしの文化美術館
角屋は揚屋建築唯一の遺構で、京の六大花街の中で最も古い歴史をもつ島原にあって、江戸文化の華やかさを今に伝えている。(重要文化財)
美術館では与謝蕪村のふすま絵などの美術品を随時展示、公開している。
また、特別公開の2階は螺鈿(らでん)細工が見事な「青貝の間(あおがいのま)」や扇が天井を彩る「扇の間」など、当時の最高の技巧を凝らした座敷がある。
本願寺(西本願寺)
浄土真宗本願寺派の本山。
境内の御影堂、阿弥陀堂(ともに国宝)の威容には圧倒される。伏見城からの移築とも言われる唐門、現存する能舞台では日本最古と言う北能舞台や、白書院、黒書院、飛雲閣(いずれも国宝)の建築物は、華麗な桃山文化の粋を今に伝えている。
他には、天明の大火(1788)の折、水を噴きかけ御影堂の類焼を防いだと言い伝えがある「水吹き銀杏」(京都市の天然記念物)がある。
なお、平成6年(1994)に世界文化遺産に登録された。
天満屋騒動跡
坂本龍馬を暗殺された報復として、海援隊士・陸援隊士が新撰組を襲撃し一戦交えた「天満屋事件」。
本光寺
新撰組「七条油小路の変」の伊東甲子太郎他三名殉難の地。
不動堂村屯所跡
西本願寺が提供した、新撰組の3番目の屯所。