京都盆地南東部、宇治川右岸の低丘陵「二子山」の頂部に築造された古墳2基の総称である。2基はそれぞれ「北墳」・「南墳」と呼び分けられ、北墳は円墳で埋葬施設は3基、南墳も円墳で埋葬施設は1基からなる。
いずれも1968年(昭和43年)に発掘調査が実施され、多量の副葬品が出土したことで知られる。
この宇治二子山北墳・南墳は、古墳時代中期の5世紀中頃(北墳)・5世紀後半(南墳)の築造と推定される。北墳・南墳ともに多量の甲冑・武器の出土が見られることから、築造の背景に強力な軍事力が想定される。
また、また当時としては山背地方で最大級の古墳であり大型古墳として久津川車塚古墳・芭蕉塚古墳(いずれも城陽市)の築造が知られるほか、宇治二子山古墳の築造地は宇治川渡河地点という交通上の要衝にもなることから、宇治二子山古墳の被葬者は久津川勢力に属する有力者で、軍事力をもって宇治川を抑えていたと推測される。
同時期の継体大王(継体天皇)の墓と目される今城塚古墳(大阪府高槻市)とは相似形を成すことから、当時の継体大王即位の際の南山背勢力の動向をうかがわせる点でも注目される古墳になる
なお、古くは菟道稚郎子(第15代応神天皇皇子)の墓に擬する説もあった。
後世には古墳東側に隣接して浄土宗西方寺が建立されており、西方寺境内域部分の二子塚古墳の前方部中腹には関白の近衛兼経の墓が残る
両古墳域は2018年(平成30年)に国の史跡に指定された。また北墳・南墳からの出土品は1994年(平成6年)に京都府指定有形文化財に指定されている。
宇治(五ヶ庄)二子塚古墳情報とアクセスマップ
住所 | 京都府宇治市五ケ庄大林50 |
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宇治(五ヶ庄)二子塚古墳へのアクセス | 【電車】 |
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