JR奈良線停車駅時刻表や路線図、路線歴史など ⽇々の奈良線利⽤から観光情報までをお届けします。

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稲荷山山麓と泉涌寺周辺史跡ガイドウォーク

稲荷山山麓と泉涌寺周辺史跡ガイドウォーク

京阪電鉄「伏見稲荷」駅又はJR奈良線稲荷駅伏見稲荷大社→仲恭天皇九条陵→長州藩墓地→皇嘉門院陵→今熊野観音寺→後堀河天皇観音寺陵→鳥戸野陵→剣神社

稲荷神社から北の天皇陵や泉涌寺に至る史跡を訪ねます

ジャンル 歴史・神社・仏閣


JR奈良線JR稲荷駅

JR稲荷駅

京都市伏見区にあるJR稲荷駅は、全国稲荷神社の総本宮である伏見稲荷大社のお膝元で歴史のある地域です。
かつてこの駅が東海道本線の駅であった名残の、国鉄最古のランプ小屋(準鉄道記念物)が現存している。

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旧国鉄最古JR稲荷駅ランプ小屋(準鉄道記念物)

旧国鉄最古稲荷駅ランプ小屋
稲荷駅は明治12年8月18日、旧東海道線が京都から稲荷駅を経て大津駅(現在の膳所駅)まで開通したときに誕生した。
その後、大正10年8月1日に、現在の京都から大津間にある東山トンネル、新逢坂山トンネルの新線開通に伴い、
奈良鉄道の路線の一駅となった。
この稲荷駅ランプ小屋は開業当時、蒸気機関車の前照灯として使われていたランプや合図灯駅舎等、石油ランプ灯具の整備・保管や油類の保管に使用されたと言われていた。
昭和45年10月14日に準鉄道記念物に指定された。
稲荷駅ランプ小屋内の見学には予約が必要。
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伏見稲荷大社

伏見稲荷大社
伏見稲荷大社は全国の稲荷神社の総本宮で、京都の古い神社のひとつ。
参拝者数も全国屈指の数を誇り、正月や毎月1日、午の日にはとくににぎわう。
商売繁昌の神様として有名。「いなり」の語源は「いねなり」とも。
五穀豊穣の神様として、農耕に携わる人たちからだけでなく、商業に携わる人たちからの信仰も篤い。

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仲恭天皇九条陵

父君順徳天皇は兄土御門上皇などと討幕計画を進める為、皇子の仲恭天皇に譲位、
挙兵したが所謂承久の乱で敗れ、四歳の仲恭天皇は幕府の指示で七十与日で退位、
九条殿に移され、文歴元年十七歳で崩御、明治二十二年陵地が定まった。

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長州藩墓地

鳥羽・伏見戦での戦死した長州藩士四十八人の墓石が立ち並ぶ墓地。
明治に入り当時の毛利家当主が遺品、遺髪を埋葬して供養したもので、
墓石群の前面には功績を讃えた碑が建ち、長州出身者による供養や東福寺塔頭退耕院の供養が行われている。

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皇嘉門院陵

崇徳天皇の皇后聖子、十歳で崇徳天皇中宮となり、崇徳天皇が保元の乱で敗れ讃岐に流された後、剃髪出家して余生を送った。

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今熊野観音寺

弘法大師空海が熊野権現から授かった十一面観音像を本尊とし、
不動明王・毘沙門天を脇侍として創建したと伝える。
後白河天皇の持病の頭痛が当寺の観音の夢告により平癒したことから、
中風・頭痛・開運の観音として信者が多い。
応仁の乱で消失したが、後に再興された。紅葉が有名。

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後堀河天皇観音寺陵

第八後堀河天皇の観音寺陵は泉涌寺山内の西南にあり、
御遺言により今熊野観音寺を望む場所に設定された。
又、鳥戸野陵は一条天皇皇后定子の陵で付近には醍醐天皇皇后の穏子ほか五名の皇后、
内親王の火葬場もあり、この付近が藤原摂関期の貴族葬送の地であった。

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鳥戸野陵

泉涌寺の北、石段、石畳を登り詰めた丘陵地に、鳥戸野陵(とりべの-の-みささぎ) がある。
平安時代中期の第66代・一条天皇の皇后・藤原定子(ふじわら-の-ていし)が葬られている。

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剣神社

祭神はイザナギノミコト、イザナミノミコト、シロヤマヒメノミコト、ニニギノミコト。
創建は社伝に因ると平安遷都の時、王城鎮護の為、都の巽に宝剣を埋め造営したとされる。
過ってこの一帯は貴族の葬送に地で埋葬された剣や鏡げ発掘されてその神秘を神の恩として神社となったのであろう。