
C56 160
C56 160は、
1939年(昭和14年)4月20日、川崎車輌兵庫工場にて、C56形のラストナンバー機(製造番号 2099)として完成。
日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造したC56形蒸気機関車の1両である。
戦前は津山機関区、戦後鹿児島機関区から横浜機関区を経て、1964年(昭和39年)に上諏訪機関区と移り、その後は小海線・飯山線・七尾線で運用された経歴を持つ。
上諏訪機関区所属時には、入換用として虎模様のペイントをされて運用されていた時期もある。
1972年(昭和47年)七尾機関区から梅小路運転区へ移動し、他から転属して来たSLの搬入に使用されるなどしたが、梅小路蒸気機関車館開館後は特に目立った動きはなかった。
西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)の梅小路運転区に所属し、京都鉄道博物館(旧梅小路蒸気機関車館)にて動態保存されている蒸気機関車で、SL北びわこ号やSLやまぐち号の牽引機関車だったが、2018年(平成30年)5月27日をもって本線運転を終了した。
同じ梅小路運転区に所属するC57 1とともに、現在まで一度も廃車(車籍抹消)されたことのない動態保存機である。
国鉄C56形蒸気機関車 | |
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国鉄C56形160 | |
基本情報 | |
運用者 |
鉄道省 → 日本国有鉄道 タイ国有鉄道 西日本旅客鉄道 大井川鐵道 |
製造所 | 日立製作所、三菱重工業、川崎車輛、汽車製造、日本車輌製造 |
製造年 | 1935年 – 1939年 1935年(昭和10年):C56 1 – 24(24両) 1936年(昭和11年):C56 25 – 87(63両) 1937年(昭和12年):C56 88 – 121(34両) 1938年(昭和13年):C56 122 – 154(33両) 1939年(昭和14年):C56 155 – 160(5両) |
製造数 | 160両 川崎車輛(22両) C56 6 – 11(製造番号 1551 – 1556) C56 49 – 58(製造番号 1699 – 1708) C56 89, 90(製造番号 1777, 1778) C56 155 – 160(製造番号 2094 – 2099) 汽車製造(24両) C56 12 – 14(製造番号 1299 – 1301) C56 23 – 26(製造番号 1352 – 1355) C56 59 – 67(製造番号 1395 – 1399, 1418 – 1421) C56 112 – 119(製造番号 1518 – 1525) 日立製作所(40両) C56 1, 2(製造番号 622, 623) C56 15, 16(製造番号 628, 629) C56 68 – 73(製造番号 737 – 742) C56 91 – 95(製造番号 825 – 829) C56 102 – 106(製造番号 863 – 867) C56 127 – 146(製造番号 970 – 989) 日本車輛製造(27両) C56 17 – 19(製造番号 373 – 375) C56 27 – 37(製造番号 405 – 415) C56 74 – 78(製造番号 416 – 420) C56 96 – 98(製造番号 477 – 479) C56 120 – 122(製造番号 558 – 560) 三菱重工業(47両) C56 3 – 5(製造番号 155 – 157) C56 20 – 22(製造番号 166 – 168) C56 38 – 48(製造番号 173 – 183) C56 79 – 88(製造番号 189 – 198) C56 99 – 101(製造番号 203 – 205) C56 107 – 111(製造番号 207 – 211) C56 123 – 126(製造番号 221 – 225) C56 147 – 154(製造番号 229 – 236) |
引退 | 1974年 |
愛称 | シゴロク、シーコロ、ポニー |
主要諸元 | |
軸配置 | 1C |
軌間 | 1,067mm(狭軌) |
全長 | 14,325 mm |
全高 | 3,900 mm |
動輪上重量 | 31.76 t |
総重量 | 65.53 t |
動輪径 | 1,400 mm |
軸重 | 10.61 t(第3動輪) |
シリンダ数 | 単式2気筒 |
シリンダ (直径×行程) |
400 mm × 610 mm |
弁装置 | ワルシャート式 |
ボイラー圧力 | 14.0 kg/cm2 (1.373 MPa; 199.1 psi) |
大煙管 (直径×長さ×数) |
127 mm×3,200 mm×16本 |
小煙管 (直径×長さ×数) |
45 mm×3,200 mm×68本 |
火格子面積 | 1.30 m2 |
過熱伝熱面積 | 19.8 m2 |
全蒸発伝熱面積 | 74.2 m2 |
煙管蒸発伝熱面積 | 54.4 m2 |
火室蒸発伝熱面積 | 7.4 m2 |
燃料 | 石炭 |
燃料搭載量 | 5.00 t |
水タンク容量 | 10.0 m3 |
制動装置 | 自動空気ブレーキ |
最高運転速度 | 75 km/h |
最大出力 | 592 PS |
定格出力 | 505 PS |
シリンダ引張力 | 8,290 kg |
粘着引張力 | 7,940 kg |
国鉄C56形軍事供出
C56形は軽量小型でありながら長距離の運用に適する設計であるために軍部より注目され、太平洋戦争開戦直前の1941年(昭和16年)11月および12月に、製造された160両のうち半数以上の90両 (C56 1 – 90) が供出され、タイ・ビルマ(現・ミャンマー)へと送られた。
タイに送られたC56形は、当時建設中だった泰緬鉄道の主力機関車として運用されることになる。
しかし太平洋戦争が激化し、ビルマ戦線の戦いも始まった。C56形は、地雷や爆撃・銃撃を受け大破した車両も多数あった。
そのためC56形は、昼間は運行せず夜間に細々と運行され続けたという。
また、泰緬鉄道は突貫工事のうえ酷使に次ぐ酷使で線路が悪く、橋上で脱線転落し失われた機関車もあった。
敗色濃厚となった戦争末期には、鉄橋が破壊されるなどして緊急の退却の際に機関車を連れて行けない場合も多く、敵に機関車を利用されないために、鉄道連隊の将兵の手によってカマに爆薬を詰められ、機関車を、時には苦楽をともにした将兵も自ら体をくくり付け爆破する「機関車の自決」も度々行われた。そして終戦後、泰緬鉄道は各地で寸断・線路は荒れ果て壊滅的な状況に陥っていた。同時に多くのC56形が廃車置き場に留置され、無惨な姿をさらしていた。
その後、運転ができるC56形は泰緬鉄道が復旧した戦後も使用され、46両がタイ国鉄700形 (701 – 746) として使われた。番号の新旧対照は次のとおりである。タイに上陸した本形式は下記の他に35と56があるが、両機はインパール作戦の敗北後、ビルマ側に取り残され、戦後、同国の国鉄に引き継がれている。
タイ国鉄 701 – 746 ← C56 3 – 18, 20, 21, 23 – 26, 28, 30 – 32, 34, 36 – 41, 43 – 55
これらは1970年代後半から1980年代前半まで使用され、現在でも713 (C56 15) ・715 (C56 17) がタイ国鉄の手によってトンブリ鉄道工場(バンコク都内)で動態保存されている。また1979年(昭和54年)には、725 (C56 31) と735 (C56 44) が日本に帰還することになった。この2両は数多い出征機関車の中でも特別な存在である。C56 31は泰緬鉄道開通式に使われた機関車で、C56 44はタイで使われたC56形の中で、現地で組立てられた機関車の第1号機関車であった。両機ともに、ロッドなどの細部の部品がいたるところ他の同型出征機関車から流用・修理されており、その戦歴を物語る。
現在、C56 31は靖国神社の遊就館で静態保存、C56 44は大井川鐵道で動態保存されている。C56 44は、帰国後にオリジナルの姿への復元が行われたが、車両限界の関係から切り詰められた屋根(機関銃を乗せるためという説もあった)や、切り落とされた炭水車の一部などにタイ時代の面影が残っていた。大井川鐵道の「かわね路号」に用いられた。
一方、ビルマ国鉄に編入された機関車は12両あり、クラスC (Class C) として使用されたのが確認されている。機関車番号は次のとおりであるが、タイ側から移った前述の2両以外は、日本時代との番号対照は不明である。なお、ビルマ国鉄の機関車番号は登録順に付されたもので、一連の番号にはなっていない。
0516, 0518, 0521, 0522 (C56 56), 0523, 0524, 0525 (C56 35) , 0527, 0531, 0656, 0676, 0680
これらは、1977年(昭和52年)から廃車が開始され、最後に廃車となったのは1987年(昭和62年)の3両 (0518, 0522, 0656) で、そのうちの1両 (0522) はミャンマー国内で静態保存されている。