JR奈良線ガイド

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JR奈良線ガイド

新撰組ウオーキング~壬生界わい~新撰組のゆりかご、青雲の志がたぎった

新撰組ウオーキング~壬生界わい~新撰組のゆりかご、青雲の志がたぎった

新撰組ウオーキング~壬生界わい~新撰組のゆりかご、青雲の志がたぎった

光縁寺→旧前川邸(現在非公開)→新選組 壬生屯所遺跡(八木家)→新徳禅寺→壬生寺→壬生塚

浪士達を募った清河八郎と近藤勇の間にひともんちゃくはあったものの、江戸をたって16日目の隊員らが入洛の荷をとき、最初の屯所を構えたのがこの地。京福電鉄四条大宮駅の南の綾小路通りを西に歩いてみよう。

※距離:0.6km
※所要時間 1時間(移動のみ)

ジャンル 歴史・神社・仏閣

光縁寺

浄土宗の寺で、知恩院の末寺にあたる。創建は、慶長18年(1613)頃で、天明の大火により焼失した堂宇は再建されて現在に至っている。

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旧前川邸(きゅうまえかわてい)

綾小路坊城にある新撰組でおなじみの旧前川邸(きゅうまえかわてい)

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新選組 壬生屯所遺跡(八木家)

文久3年(1863)3月16日、八木家右門柱に松平肥後守御領新選組宿という表札が掲げられ、新選組が誕生した。幕末京都の治安を守った新選組があしかけ3年を過ごした壬生屯所時代。奥座敷の鴨居に残る刀傷は内部抗争で芹澤鴨らが暗殺された際に付けられたもので、当時をしのぶことができる。京都市指定有形文化財指定。

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新徳禅寺

新徳寺は、江戸時代末期(幕末)で活躍した新選組にまつわる最初の舞台となった場所としても知られる。

上洛した新選組の前身浪士組のリーダー清河八郎が浪士たちを集めて、大演説をしたのが新徳寺の本堂である。
「尊王攘夷をやる」と清河らは江戸に引返したのであったが、八木邸を宿舎としていた近藤勇のグループが「我々の役目は幕府権力の維持だ」として、清河が率いる浪士組を脱退して京都に残ったのである。

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壬生寺

壬生寺は、延命地蔵菩薩を本尊とし、991年に創建した律宗寺院で、厄除、開運の寺として庶民の信仰を集めている。
境内は保育園や老人ホームなどが建ち庶民的な雰囲気だが、毎年恒例の節分会や重要無形民俗文化財壬生狂言などの行事にはたくさんの人が訪れにぎわいをみせる。
また、寺の近隣には幕末に新選組の駐屯所があり、境内の壬生塚には新選組隊士11名の墓と近藤勇の胸像等がまつられている。

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壬生塚

壬生塚は、京都市中京区の壬生寺境内にある新選組関連の遺跡である。
新選組は、文久3年(1863年)に壬生の地で結成され、壬生寺境内は、新選組大使の兵法調練場に使われ、武芸や大砲の訓練が行われていた。
壬生塚は、新選組隊士11名の墓所として、墓石や顕彰碑が建てられている。